東京高等裁判所 昭和58年(ネ)1222号 判決
昭和五八年(ネ)第一二一〇号事件被控訴人、同年(ネ)第一二二二号事件控訴人
同年(ネ)第一二四二号事件被控訴人第一審原告
堀川武
右訴訟代理人弁護士
寺村恒郎
我妻真典
茨木茂
昭和五八年(ネ)第一二一〇号事件控訴人、同年(ネ)第一二二二号事件被控訴人第一審被告
東京都
右代表者知事
鈴木俊一
右訴訟代理人弁護士
吉原歓吉
右指定代理人
半田良樹
豊見永栄治
近藤守澄
昭和五八年(ネ)第一二二二号事件被控訴人第一審被告
今井保美
右訴訟代理人弁護士
武藤正敏
金井正人
昭和五八年(ネ)第一二二二号事件控訴人第一審被告
船水秀男
右訴訟代理人弁護士
松本迪男
主文
一 第一審原告の控訴に基づき、原判決を次のとおり変更する。
第一審被告らは各自第一審原告に対し、金一九三万三〇八〇円及びこれに対する昭和五〇年五月七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
第一審原告のその余の請求を棄却する。
二 第一審被告東京都の控訴及び第一審被告船水秀男の控訴をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は第一、二審を通じこれを二分し、その一を第一審原告の、その余を第一審被告らの負担とする。
事実
一 当事者双方の申立て
1 昭和五八年(ネ)第一二一〇号事件
第一審被告東京都訴訟代理人は「原判決中第一審被告東京都敗訴部分を取り消す。右取消部分につき第一審原告の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも第一審原告の負担とする。」との判決を求め、第一審原告訴訟代理人は控訴棄却の判決を求めた。
2 同年(ネ)第一二二二号事件
第一審原告訴訟代理人は「原判決を次のとおり変更する。第一審被告らは各自第一審原告に対し金四八三万三〇八〇円及びこれに対する昭和五〇年五月七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも第一審被告らの連帯負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、第一審被告東京都訴訟代理人、第一審被告今井保美(以下「第一審被告今井」という。)訴訟代理人及び第一審被告船水秀男(以下「第一審被告船水」という。)訴訟代理人は、いずれも控訴棄却の判決を求めた。
3 同年(ネ)第一二四二号事件
第一審被告船水訴訟代理人は「原判決中第一審被告船水敗訴部分を取り消す。右取消部分につき第一審原告の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも第一審原告の負担とする。」との判決を求め、第一審原告訴訟代理人は控訴棄却の判決を求めた。
二 当事者双方の主張は、第一審被告らの各訴訟代理人において、請求原因に対する認否を以下のとおり改め、従前の主張のうち右変更後の認否と抵触する部分は撤回すると述べたほか原判決事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する(ただし、原判決四枚目表二行目、一四枚目表一〇行目及び一六枚目表九行目に「一一時四七分」とあるのは、いずれも「一一時三七分」の誤記であり、同一四枚目裏三行目に「呈示」とあるのは「提示」の誤記であるから、それぞれ訂正する。)。
1 第一審被告今井
(一) 請求原因1・(一)ないし(三)の事実は認める。ただし、第一審被告船水の卒業年月は昭和四二年三月である。
(二) 同2・(一)についての認否は原審における認否と同じである。
(三) 同2・(二)について
(1)の事実中、第一審被告今井が第一審原告を不当に逮捕した事実を隠すために虚偽の目撃者を仕立てあげることを企てたとの点は否認し、その余は認める。
(2)の事実は認める。
(3)の事実中、第一審被告今井の供述内容が虚偽であるとの点は否認し、その余は認める。
(4)の事実中、第一審原告が第一審被告今井らの虚偽の供述によつて勾留されたとの主張は争う。その余は認める。
(5)の事実は認める。
(6)の事実中、第一審原告の進路変更禁止違反、公務執行妨害、傷害の犯行を現認し、これらの容疑で第一審原告を逮捕し、逮捕後現場付近で目撃者を探した旨の第一審被告今井の証言内容が虚偽であるとの点は否認し、その余は認める。
(7)ないし(10)の事実は認める。
(四) 同2・(三)の主張は争う。
(五) 同3の主張は争う。もつとも、第一審原告がその主張のとおりの補償を受けたことは認める。
2 第一審被告東京都
(一) 請求原因1・(一)ないし(三)についての認否は原審における認否と同じである。
(二) 同2・(一)及び(三)についての認否は第一審被告今井の原審における認否と同じである。
(三) 同2・(二)についての認否は第一審被告今井の当審における認否と同じである。
(四) 同3の事実はすべて争う。
3 第一審被告船水
(一) 請求原因1・(一)及び(二)についての認否は原審における認否と同じである。
(二) 同1・(三)の事実中、第一審被告船水が第一審被告今井と親交を結んでいたとの点は否認し、その余は認める。ただし、第一審被告船水の卒業年月は昭和四二年三月である。
(三) 同2・(一)の事実は不知。
(四) 同2・(二)について
(1)の事実中、第一審被告今井が自己の不当逮捕の事実を隠すため虚偽の目撃者を仕立てあげることを企てたとの点は否認し、その余は認める。
(2)の事実は認める。
(3)の事実は不知。
(4)の事実中、第一審原告が第一審被告船水及び同今井の虚偽の供述によつて勾留されたとの点は否認し、その余は認める。
(5)の事実は認める。
(6)の事実中、第一審被告今井の証言内容が虚偽であることは不知。その余は認める。
(7)ないし(10)の事実は認める。
(五) 同2・(三)及び(四)の主張は争う。
(六) 同3の損害に関する主張は争う。
三 証拠の提出、援用及び認否は、原審及び当審訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 本件の基礎となる事実関係
1当事者
(一) 〈証拠〉によれば、第一審原告は、昭和三九年二月第三京王自動車株式会社(旧商号関東交通)にタクシー運転手として就職し、昭和五〇年五月四日当時同社練馬営業所に勤務していた者であることが認められる(右の事実は、第一審原告と第一審被告今井との間においては全部争いがなく、第一審原告と第一審被告東京都との間においては第一審原告の就職年月日及び職種の点を除き争いがない。)。
(二) 第一審被告今井が、昭和四二年三月に国学院高等学校を卒業し、その後警視庁巡査に採用され、昭和五〇年五月四日当時警視庁富坂警察署に勤務し、交通課交通執行係巡査の職にあつた者であることは全当事者間に争いがない。
(三) 〈証拠〉によれば、第一審被告船水は、第一審被告今井と同じ国学院高等学校の昭和四二年三月の卒業生で、同校第二学年在学当時第一審被告今井と同じクラスに属していたことがあり、昭和五〇年五月四日当時東京都世田谷区所在の世田谷自動車学校に技能指導員として勤務していた者であることが認められる(右の事実は、第一審被告東京都を除くその余の当事者間においては第一審被告船水の卒業年次の点を除き争いがない。)。
2第一審原告の逮捕、起訴から無罪判決の確定に至るまでの経過
(一) 〈証拠〉によると、第一審原告は、昭和五〇年五月四日タクシーを運転して東京都文京区内の白山通りを水道橋方面から白山方面に向かつて進行し、午前一一時三七分ごろ同区春日町一丁目一六番先の春日町交差点に差しかかつたところ、折柄同交差点直前の車道上で第一審被告今井が交通整理に当たつていたこと、第一審原告は、第一審被告今井の脇の左折車線上で停車し、乗車したまま車外の同第一審被告としばらく言い合いをしたが、間もなく同所で同第一審被告から道路交通法違反(指定通行帯における進路変更禁止違反)及び同第一審被告に対する公務執行妨害の被疑事実により現行犯逮捕されたことが認められる(右の事実は、第一審被告船水を除くその余の当事者間に争いがない。)。右逮捕の理由となつた被疑事実中に第一審被告今井に対する傷害の事実も含まれていた旨の第一審原告の主張事実は、これを認めるに足りる証拠がない。
(二) 第一審原告が逮捕された当初から被疑事実を全面的に否認していたことは全当事者間に争いがないところ、〈証拠〉によれば、第一審被告今井は、同月五日富坂警察署司法警察員から参考人として取調べを受けた際「第一審原告が進路変更禁止違反をするのを現認したので停車させ、反則処分にするべく免許証の提示を求めた。すると、第一審原告が車を発進させようとしたため、逃亡するのだと思つて第一審原告の腕を押さえたところ、顔面を右手拳で殴打され、負傷した。」との趣旨の供述をし、同月七日東京地方検察庁検察官から参考人として取調べを受けた際にも同趣旨の供述をし、それぞれその旨の供述調書が作成されたことが認められる(右の事実は、第一審被告船水を除くその余の当事者間において大綱において争いがない。)。なお、逮捕直後に第一審被告今井が職務上作成した前掲乙第一号証の現行犯人逮捕手続書中にも、現行犯人と認めた理由として前示供述と同旨(ただし、傷害の点を除く)の記述部分がある。
(三) 一方、第一審被告今井が同月六日ごろ、高校時代に同級生であつた友人の第一審被告船水に対し、実際には第一審被告船水において第一審原告の逮捕現場に居合わせたことがなく、逮捕の前後の情況を目撃したことがないにもかかわらず、捜査官に対して「自分は逮捕現場に居合わせていたが、タクシー運転手が進路変更禁止に違反し、これを注意した取締中の警察官を右手で殴打したのを見た。」という虚偽の供述をしてもらいたい旨依頼したこと、第一審被告船水が右依頼を引受け、参考人として前同日司法警察員に対し、また同月九日検察官に対し、第一審被告今井から頼まれたとおりの虚偽の供述をし、その旨の各供述調書が作成されたことについては全当事者間に争いがない。
(四) 第一審原告が東京地方検察庁に身柄送検され、同月七日勾留状の執行を受け、同月一三日に否認のまま公務執行妨害、傷害の罪名で東京地方裁判所に起訴され、同月二一日保釈されるまで一五日間勾留され、更に同月三〇日に道路交通法違反の罪名で追起訴されたことは全当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、右の起訴状記載の公訴事実は、「被告人は、昭和五〇年五月四日午前一一時三七分ころ、東京都文京区春日一丁目一六番地先路上において、普通乗用自動車を運転中、被告人の道路交通法違反(進路変更禁止違反)の事実を現認した警視庁富坂警察署勤務警視庁巡査今井保美(当時二六年)から、停止を命ぜられたうえ、右違反の事実を告げられて運転免許証の提示を求められた際、「ふざけるな。何が違反だ。馬鹿野郎、違反もしていないのに免許証なんか見せられるか」等と怒号して提示を拒否し、自動車を発進させようとしたので、前記今井巡査がこれを制止しようとしたところ、同巡査に対し、いきなり右手拳で同巡査の左顔面を一回殴打して暴行を加え、よつて同巡査の職務の執行を妨害するとともに同巡査に加療約一週間を要する顔面挫傷の傷害を負わせたものである。」というものであり、追起訴状記載の公訴事実は、「被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和五〇年五月四日午前一一時三七分ころ、普通乗用自動車を運転し、水道橋方面から白山上方面に向かい進行中、東京都文京区春日一丁目一六番地先道路の車両通行帯を通行するにあたり、同車両通行帯が当該通行帯を通行している車両の進路の変更の禁止を表示する道路標示によつて区画されていたのにかかわらず、右の道路標示をこえてその左側に設けてある左折車両通行帯に進路を変更して通行したものである。」というものであつたことが認められる。
(五) 第一審原告に対する右両被告事件は併合して審理され、第一審原告は、進路変更禁止区域の手前から左折車線を進行していたものであつて交差点直前で進路を変更したことはなく、また、今井巡査に対し暴言を吐いたり暴行を加えたこともない旨主張して公訴事実を争い、被告人質問において請求原因2・(一)記載のとおりの供述をしたが、第一審では昭和五一年三月二二日有罪判決(懲役一〇月、執行猶予三年及び罰金四〇〇〇円)の言渡しを受けたこと、第一審被告船水及び同今井はいずれも右被告事件の第一審公判期日に証人として出廷し、第一審被告船水は、「私はたまたま本件当時現場近くにいてタクシー運転手が進路変更禁止違反するのを見た。すると、取締りの警察官がそのタクシーを停止させて、運転手と口でやりとりをしていたが、そのうち運転手がいきなり右手を上に突き上げ、警察官は左顔面を手で押さえてのけぞつた。そこで私は運転手が警察官を殴つたのだと思つた。事件の二日後の昭和五〇年五月六日午後二時ごろ、私が再び現場付近に行つたところ、背広を着た警察の人が「事件を見ていなかつたか。」と聞いてきたので見ていたと答えた。私は、第一審被告今井とはその時が初対面であり、何の関係もない。」と証言し、第一審被告今井は、「私は第一審原告がタクシーを運転して進路変更禁止違反をするところを現認したので、同車を停止させた。第一審原告が運転席のドアを開けたので、そこへ行つて違反事実を告げて事情聴取をしようとしたところ、第一審原告は、ドアを開けたままでギアを入れ、車を発進させようとした。そこで、その肩に右手をかけて「運転手さん、ちよつと待つて下さい。」と言つた。すると、第一審原告は私の手を振り払い、「逮捕するなら令状だ。」と怒鳴つて手拳で私の左耳の下を一遍強く殴打したので、第一審原告を道路交通法違反、公務執行妨害の現行犯人として逮捕した。事件後に私が現場で目撃者を探していたところ、昭和五〇年五月六日午後四時ごろ、たまたま目撃したという者が現れ、それが第一審被告船水だつた。私と同第一審被告とはそれまで何ら面識がない。」と証言したこと、第一審被告船水の右証言はその全部が虚偽であること、以上の事実については全当事者間に争いがない。また、第一審被告今井の右証言中、少なくとも目撃者の発見経過に関する部分及び第一審被告船水とそれまで面識がなかつたという部分は虚偽であることについては、第一審被告船水を除くその余の当事者間においては争いがなく、第一審原告と第一審被告船水との間においては、前記(三)の当事者間に争いのない事実に照らしてこれを肯認することができる。
そして、〈証拠〉によると、第一審原告に対する前記被告事件の第一審判決は、第一審被告船水及び同今井の前掲各証言を主要な証拠として有罪の認定をしたものであることが認められる。
(六) 第一審原告は右有罪判決を不服として東京高等裁判所に控訴したこと、昭和五二年一月二四日の控訴審第三回公判期日において取り調べられた弁護側の証人高沢雄一の証言により、第一審被告船水と同今井とが友人関係にあり、第一審被告今井がこれを利用して第一審被告船水に偽証を依頼した疑いのあることが明らかにされたが、同公判期日に高沢証人に続いて証人尋問を受けた第一審被告今井は、依然として第一審の時と同趣旨の証言を繰り返し、第一審被告船水との関係についても全く面識がなかつた旨の証言を翻そうとしなかつたこと、同年三月二日の控訴審第四回公判期日において取り調べられた国学院高等学校の回答書により、第一審被告今井と同船水とが同校第二学年に在学中同じ一二組に属していた事実が判明し、ここにおいて第一審被告今井の偽証工作の事実が明白となり、同年四月一八日控訴審第五回公判期日において「原判決破棄、被告人は無罪」との判決が言い渡され、右判決は検察官による上告申立てのないまま同年五月二日確定したこと、その他右被告事件の第一、二審の公判経過の詳細は原判決別紙公判経過表記載のとおりであること、以上の事実については全当事者間に争いがない。
二 第一審被告今井による特別公務員職権濫用、同暴行陵虐の事実の有無について
第一審原告は、第一審被告今井が第一審原告において道路交通法違反、公務執行妨害の罪を犯した事実のないことを知りながら、警察官としての職権を濫用して不法に第一審原告を逮捕した上、数分後に現場に到着したパトロールカー乗務の警察官数名と共同して第一審原告をタクシーから引きずり出して右パトロールカーに押し込め、右暴行により第一審原告に対し全治約一八日間を要する右前腕挫傷及び急性扁桃炎の傷害を負わせた旨主張するので、以下右主張について判断する。
1〈証拠〉を総合し、弁論の全趣旨を併せて考察すると、次の(一)、(二)の事実を認めることができる。
(一) 逮捕までの経過
第一審原告は、昭和五〇年五月四日(以下「本件当日」という。)平常どおりタクシーを運転して東京都内を走行し、千代田区所在の学士会館付近で乗客を降ろした後、空車の状態で客を探しながら通称白山通りを水道橋方面から白山方面に向けて進行し、午前一一時三七分ごろ、春日町交差点に差しかかつた。同交差点は、その約二五メートル手前から進路変更が禁止され、その旨を表示する黄色線による道路標示によつて直進車両通行帯と左折車両通行帯(以下「左折車線」という。)とが区画されていたが、第一審原告は日ごろ同交差点を通行していたので、同交差点手前には進路変更禁止区域があり、しかも同所でしばしば交通違反の取締りが行われていることを知つていた。ところで、本件当日の午前中には朝鮮総連主催の自転車パレードが行われ、約七〇〇台の自転車がこれに参加し、いくつかの梯団に分かれて春日町交差点を水道橋方面から白山方面に向けて通過していたが、同パレードに参加した自転車は、同交差点の通過に当たり白山通りの最も歩道寄りの第一車線(本来ならば左折車線)を直進することが警察官の指示により認められていた。第一審原告は、春日町交差点で左折するつもりであつたので、同交差点の手前の営団地下鉄丸の内線のガード付近で第一車線を併走中の自転車パレードの梯団の切れ目を狙つて第一車線に割り込むことに成功し、そのまま第一車線を走行していた。ところが、春日町交差点入口の左折車線上に第一審被告今井が立つており、左折しようとする車両に対し一律に直進を命じていたので、第一審原告は不審に思い、同第一審被告の脇に停車し、助手席側の窓ガラスを半分位下げて窓越しに同第一審被告に対し「何で左折できないんだ。」とぞんざいな口調で尋ねた。第一審被告今井は第一審原告の横柄な態度を不快に思い、「指示どおり動けばいいのだ。現場の警察官の判断が最優先するのだ。その指示に従わなければ指示違反で逮捕する。」と威丈高に決め付けた。第一審原告は第一審被告の高圧的な態度に反発し、「逮捕とは何事だ。指示に従うとも従わないとも言つていないじやないか。左折できない理由を言え。」と食つてかかつた。すると、第一審被告今井は、「お前は生意気だ。徹底的に懲らしめてやる。」と言いながら運転席側の方に回わつてきて車外から運転席のドアを開け、上半身を車内に差し入れて第一審原告に対し「免許証を見せろ。」と要求した。これに対し、第一審原告が「俺は何も違反なんかしていない。左折できない理由を尋ねただけじやないか。」と抗弁したところ、第一審被告今井は、第一審原告が交通違反を犯した事実を現認したわけでもないのに「交通違反がある。」と強弁し、第一審原告が「交通違反があるというなら、どういう違反があつたのか具体的に言つてみろ。」と反問したのに対し、第一審被告今井は「その必要はない。」と答えた。そのため、第一審原告は「そんなら、こつちも免許証を見せる理由はない。」と言つて運転免許証の提示を拒否したところ、第一審被告今井は、「俺が免許証を見せろと五回続けて言うから、その間に見せなければ逮捕する。」と宣言し、実際に「免許証を見せろ。」と五回連続して唱えた。このころになると、第一審原告と第一審被告今井は双方とも感情的になつて興奮し、ほとんど喧嘩腰で口論する有様で、両者の間には険悪な空気が漂つていたが、第一審原告は不承不承ポケットから運転免許証を取り出し、これを第一審被告今井の鼻先にほんの一瞬間提示してすぐ引込め、タクシーを発進させようとした。そこで第一審被告今井はこれを制止しようとして第一審原告の右腕を押さえ、これを振りほどこうとする第一審原告と揉み合いの状態になつたが、その際第一審被告今井の手を払いのけようとした第一審原告の右手がたまたま同第一審被告の左顔面に当たつた(これが第一審原告の故意による行為であつたものとは認め難いが、右打撃により第一審被告今井は加療約一週間を要する顔面挫傷を被つた。)ため、同第一審被告は第一審原告が殴打したものと判断し、「免許証はもういい。公務執行妨害で逮捕する。」と第一審原告に告げ、同交差点付近の交番入口に立つていた星宮孝佳巡査に声をかけて同巡査から手錠を借り受け、運転席に座つている第一審原告の右手首に手錠をかけて逮捕した。
(二) 逮捕後の状況
逮捕された第一審原告は、「令状でもあるのか、不当逮捕だ。」と叫んで抗議し、手錠をかけられた右手を振りまわし、ハンドルにしがみ付いて降車を拒否した。その数分後に自転車パレードの警備任務についていた富坂警察署所属のパトロールカーが同交差点を通りかかり、第一審原告のタクシーの後方二、三メートルの路上に停車したので、第一審被告今井は、右パトロールカーから降りようとしていた同署警備課調査官枝廣幾悦警部のもとに小走りに近寄り、第一審原告を進路変更禁止違反と公務執行妨害の現行犯として逮捕したが、車から降りないので困つている旨報告した。枝廣警部は第一審原告に向かつて、逮捕された以上は無駄な抵抗をやめて同行に応ずるように説得したが、第一審原告は手錠をはめられた右手を突き出すようにして、「俺は違反をしていない。不当逮捕だ。手錠を外せ。争つてやる。」と怒鳴つた。枝廣警部は、第一審被告今井の左顔面に発赤を認めたので、第一審原告に対し、「何が不当逮捕だ。今井巡査の顔が赤くなつているではないか。君が殴らなければ赤くなるはずがない。」と反論したところ、第一審原告は、「弾みだ。偶然だ。」と弁解して殴打したことを否定し、降車することを拒否した。そこで、枝廣警部は第一審被告今井と協力して実力行使に移り、第一審被告今井が右手を抱きかかえるようにし、枝廣警部が腰の付近を抱き込むような形で、第一審原告を運転席から車外に連れ出した上、パトロールカーに収容して富坂警察署に連行した。第一審被告は逮捕された後右のように降車することを拒否して抵抗したため、手錠をかけられた右手首の皮膚が赤くむけて血がにじみ出し、同日医師から右前腕擦創により全治一週間を要する旨診断された。
2〈証拠〉に録取されている第一審被告船水の捜査官の面前及び刑事第一審公判廷における各供述中には前記1の認定に反する部分があるが、右各供述は、すべて同第一審被告自身の経験しない事実を述べたものであることは全当事者間に争いのないところであるから、右各書証は前認定を妨げる資料とはなし難く、〈証拠〉中前認定に符合しない部分は、その余の右認定に供した各証拠及び以下の説示に照らし採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
なお、本件において、第一審原告が第一審被告今井から逮捕されるに至つた経緯を証する直接の証拠としては、第一審原告の主張(原判決三枚目裏一〇行目から五枚目表一一行目まで)に沿うものとして前掲甲第二〇号証(第一審原告の刑事第一審における被告人供述調書)及び原審及び当審における第一審原告本人の供述があり、第一審被告今井及び同東京都の主張(原判決一八枚目裏八行目から二〇枚目裏九行目まで)に沿うものとして前掲乙第一号証(第一審被告今井作成の現行犯人逮捕手続書)、甲第一一、第一二号証(第一審被告今井の司法警察員及び検察官に対する各参考人供述調書)、同第七号証の一、二及び第一六号証(第一審被告今井の刑事第一、二審における各証人調書)があるのみであつて、被逮捕者である第一審原告及び逮捕者である第一審被告今井の各供述(又は供述書若しくは供述調書。以下「供述」というときは書面の記載も含む。)以外には、目撃者の供述は存在しない(第一審被告船水が真の目撃者でないことは前叙のとおりである。)。第一審原告及び第一審被告今井の右各供述は、些細な点を除けば逮捕直後から現在に至るまで各人ごとにそれぞれ前後一貫しているが、その供述内容は極端に対立しており、一致する点は極めて少ない。ところで、右両者の供述の信用性を吟味するに当たつて無視することができないのは、第一審被告今井が逮捕当時の情況につき真の目撃者でない第一審被告船水を目撃者に仕立て上げ、同人に依頼して捜査官に対し虚偽の供述をさせたことである。第一審被告今井の右工作は、自己の供述の真実性に確信をいだいている者のとる行動としては通常想定し得ないところであるから、同第一審被告の供述全体の信用性を少なからず低下させるものと評価されてもやむを得ないものといわなければならない。
したがつて、第一審被告今井の供述が他の傍証による裏付けを伴う場合及び第一審原告の供述内容がそれ自体不自然で首肯し難い場合を除けば、原則的には第一審原告の供述を信用して差しつかえないものと考えられる。
そして、第一審原告の道路交通法違反及び第一審被告今井に対する殴打の事実の有無についての当裁判所の検討の結果は、次に補正するほか原判決の理由説示第二の一、二(原判決三二枚目裏七行目から四三枚目表一〇行目まで。)と同一であるから、これをここに引用する(ただし、右引用部分に付されている項数「(一)」、「(二)」、「(三)」及び「(四)」並びに項数「(1)」、「(2)」及び「(3)」をそれぞれ削り、項数「一」及び「二」を「(一)」及び「(二)」に、項数「1」、「2」及び「3」を「(1)」、「(2)」及び「(3)」にそれぞれ改める。なお、右引用部分に関する限り、証拠の表示については原判決別紙(一)記載の用例に従う。)。
(一) 原判決三四枚目中、表四行目から裏一〇行目までの全文及び裏一一行目の「一方、」を削る。
(二) 同第三六枚目表一〇行目の「第一で」から次行の「総合すると」までを「前記1の認定に供した各証拠によると」に改める。
(三) 同三八枚目表八行目の「高い」を「高く、第一審被告今井が左折車線を直進する自転車の安全を確保するため、左折しようとする車両に対し一律に直進を命じても不自然とはいえない情況にあつたもの」に改め、同枚目表九行目から三九枚目表三行目までを削る。
(四) 同三九枚目裏三行目から五行目までの括弧内を「第一審原告が自発的に第一審被告今井の脇に停車して、左折できない理由を尋ねた」に改める。
(五) 同四〇枚目中、表七行目の「成立に争いのない」を「前掲」に、裏八行目から九行目にかけての「このことは矛盾のようにも見えるが、同刑事証言によれば」を「しかし、逮捕現場において第一審被告今井の顔面に発赤が認められたことは当審証人枝廣幾悦の証言によつても明らかであり、山内刑事証言によれば」に改める。
(六) 同四〇枚目裏一〇行目の「認められるし、」から四一枚目表二行目末尾までを「認められるから、第一審被告今井の右供述は信用することができる。)」に改め、同四一枚目中、裏二行目の「一貫していたわけではなく」及び裏五行目から裏一〇行目までの全文をそれぞれ削る。
(七) 同四二枚目中、表二行目の「しかも「左顔面」」を「特に「左顔面」は「左耳の下」を含む概念であることは明らかである。また」に改め、表三行目の「、員面」を削り、表四行目の「供述が」から表七行目の「虚偽とまで」を「右の検面の記載は第一審被告今井が「左耳の下」と供述したのを聞き間違えて録取した疑いがないとはいえないから、受傷部位に関する同第一審被告の供述が一貫性を欠くものと」に、裏一行目から三行目までを「特に本件の発端については、第一審被告今井に対し左折できない理由を尋ねたのに対し何の理由もなく同第一審被告がいきり立つて高圧的な態度に出たというのであるけれども、右の経過は不自然であつて首肯することができない。」に改める。
(八) 同四二枚目裏一一行目の「双方の供述」から四三枚目表六行目までを「双方の供述には互いに自己の都合に悪い点を秘匿する傾向のあることが看取され、いずれか一方の供述のみを無条件に信用するわけにはいかない。もつとも、本件においては双方の供述を総合し、経験則に照らして取捨選択することにより事実経過を確定することができないわけではなく、第一審被告今井は、前判示1・(一)において認定したような経過で、第一審原告と押問答の末揉み合いとなつた際に右判示のとおりの原因で受傷したものと推認するのが相当である。しかしながら、第一審原告が第一審被告今井を故意に殴打したとの第一審被告今井及び同東京都の主張に沿う第一審被告今井本人の供述は、これを否定する第一審原告の供述と対比すれば採用することができない(第一審被告今井の供述によれば、第一審原告が「逮捕するなら令状だ。」と大声を出しながら殴打したというのであるが、第一審原告の右発言は、前判示1・(二)のとおり、逮捕直後にされたものと認めるのが相当である。)。」に、四三枚目表七行目の「原告が」から表一〇行目末尾までを「第一審被告今井の受傷原因、受傷に至るまでの経過及び受傷の際の情況に照らせば、同第一審被告において第一審原告から殴打されたものと判断したことは首肯し得るものであつたということができるけれども、客観的には、第一審原告が故意に第一審被告今井を殴打して暴行を加えた事実は認め難いものというべきである。」に改める。
3なお、前示逮捕、連行の際に第一審原告が被つた傷害の部位、態様につき、〈証拠〉中には、第一審原告は逮捕された後警察官から胸倉を強くつかんでタクシーから引きずり出されたため、急性扁桃炎の傷害を被つたとする部分がある。しかし、〈証拠〉によれば、第一審原告には扁桃炎に対応すべき外傷が認められないこと、第一審原告は、本件当日の午後に山内外科病院の山内健嗣医師の診察を受けたが(第一審原告は本件当日は診察を受けていないと供述しているが、これは記憶違いと考えられる。)、その際は右腕のしびれ及び関節部の圧痛を訴えたにとどまり、その四日後の五月八日に(甲第二三号証に五月五日とあるのは五月八日の誤記であることが前掲乙第三号証によつて認められる。)二度目の診察を受けた際に初めてのどの痛みを訴え、急性扁桃炎と診断されたが、痛みの原因については特段の申告をしていないことが認められ、右の事実に照らせば、第一審原告の前記供述部分は信用することができず、他に第一審原告が前判示の右前腕擦創以外の傷害を被つた事実を認めるに足りる証拠はない。
4以上に認定した事実関係に基づき、第一審被告今井の第一審原告に対する逮捕、連行行為の違法性の有無について判断する。
(一) 警察官が車両等の運転者に対しその意に反して運転免許証の提示を求めることは、無制約に許されるものではなく、これが許されるのは、道路交通法六七条一項に定める事由がある場合及び同法一〇九条一項に定めるところにより同法違反事件の処理のため運転免許証を提出させる準備行為として行う場合に限られるのであるが、本件において第一審被告今井が第一審原告に対して運転免許証の提示を要求した根拠は、前者の場合に該当することを理由とするものではなく、後者の場合に該当することを理由とするものであることは、第一審被告今井及び同東京都の主張に照らして明らかである。
(二) しかるに、第一審原告に道路交通法違反(進路変更禁止違反)の事実があつたものと認められないことは前述のとおりであり、第一審被告今井は、第一審原告の同法違反の事実を現認していないのはもちろん、他に右事実の存在を疑うべき合理的な理由もないのに第一審原告に対し運転免許証の提示を執拗に要求したものであつて、同第一審被告の右行為は到底適法な公務の執行ということはできない。本件において、第一審原告が故意に第一審原告を殴打した事実が認められないことは前叙のとおりであるが、仮に右事実が存在するものとした場合であつても公務執行妨害罪が成立する余地はないのであり、このことは当時第一審被告今井においても十分認識していたものと認められる。したがつて、逮捕の理由とされた第一審原告の道路交通法違反及び公務執行妨害の被疑事実は、その不存在又は犯罪の不成立が当初から明白であつたものということができる。
(三) しかしながら、第一審被告今井の受傷が、故意によるものでないにせよ第一審原告の右手が当たつたことに起因するものであること、それは瞬時の出来事であつたこと、これによつて第一審被告今井は相当程度の衝撃を覚えたものと推認されること、それまで両者はほとんど喧嘩腰で口論していたものであつて、両者の間には険悪な空気が漂つていたこと等前示1・(一)で認定した当時の諸事情に照らして考えると、第一審被告今井が第一審原告から故意による暴行を受けたと認識したことについては、それが限られた資料によるその場における判断であることを考慮すれば無理からぬものがあり、同第一審被告には、少なくとも第一審原告を公務執行妨害罪の一部である暴行罪の現行犯人と認める合理的な理由があつたものというべきである。
そうであるとすれば、第一審被告今井の第一審原告に対する逮捕行為は、これを目して警察官としての職権を濫用した違法な行為と断定することはできないものといわなければならない。
(四) また、右逮捕、連行の際に第一審原告が被つた全治一週間を要する右前腕擦創の傷害は、第一審原告が降車することを拒否して抵抗したために生じたものであることは既に述べたとおりであり、その際第一審原告に対して加えられた第一審被告今井及び枝廣警部による有形力の行使が、逮捕した被疑者の連行に必要とされる限度を超える過剰なものであつたことをうかがうに足りる証拠はないので、同第一審被告に暴行陵虐の所為があつたものとはいえず、右連行行為に違法とすべき点は見当らない。
以上のとおりであるから、この点に関する第一審原告の主張は採用することができない。
三 証拠のねつ造について
1第一審被告今井の行為
(一) 第一審被告今井作成の現行犯人逮捕手続書中の「第一審原告が進路変更禁止に違反するのを現認したので停車させ、反則処分にするため違反の事実を告げた」との記述部分、並びに同第一審被告が参考人として司法警察員及び検察官から事情聴取を受けた際にした各供述及び証人として刑事第一審公判廷において尋問された際にした供述中の右同旨の部分が、いずれも客観的事実に反するのみならず、同第一審被告においてことさら虚偽の記述ないし供述をしたものと認められることは、前段説示の事実(一・2・(二)、(三)、(五)、同二・1・(一)等の事実)に照らして優にこれを肯認することができる。また、右記述及び供述中、第一審原告を停車させた後、第一審被告今井が第一審原告を逮捕するまでの両名の行動に関する部分も、真実は双方が喧嘩腰で口論したにもかかわらず、第一審原告が一方的に興奮して第一審被告今井を殴打したとする事実経過を客観的事実に反することを知りながら表現したものであること(もつとも、第一審被告今井が第一審原告から殴打されたように認識したこと自体は、虚偽の記述ないし供述であるとはいえない。)も前段説示のところ(一・2・(二)、(三)、(五)、二・1・(一)、二・2等の判示)から明らかである。更に、第一審被告今井の刑事第一、二審における証言中、目撃者の発見経過に関する部分及び第一審被告船水とそれまで面識がなかつたとする部分が虚偽であることも前判示一・2・(五)、(六)において明らかにしたとおりである。
(二) 第一審被告今井は、前判示一・2・(三)のとおり、第一審被告船水に依頼して捜査官に対し事件の目撃者として虚偽の供述をさせた。更に、成立に争いのない甲第一五号証に弁論の全趣旨並びに前掲甲第六号証に現れている第一審被告船水の供述と前掲甲第七号証の一、二に現れている第一審被告今井の供述とがよく符合している事実を総合すれば、第一審被告船水の刑事第一審における虚偽の証言も第一審被告今井との打合せの結果に基づいて行われたものと推認するのが相当であり、前掲甲第六号証、第七号証の一、二、第一六号証、原審における第一審被告今井本人尋問の結果(第一、二回)中右認定に反する部分は信用することができない。
2第一審被告船水の行為
前判示一・2・(三)及び(五)に掲げるとおり、第一審被告今井の依頼を引き受けて捜査官に対し目撃者として虚偽の供述をし、更に刑事第一審においても同旨の虚偽の証言(第一審被告今井と打ち合せた上で証言したものと認められることは前叙のとおり。)及び第一審被告今井とは事件前は面識がなかつた旨の虚偽の証言をした。
3右各行為による原告の法益侵害
第一審原告が道路交通法違反の罪を犯していないこと、第一審被告今井が第一審原告に対しその意に反して運転免許証の提示を執拗に要求した行為は適法な公務の執行であるとは認められず、しかもその際第一審原告が同第一審被告を故意に殴打した事実も証拠上認め難いのであるから、第一審被告今井が第一審原告から故意に殴打されたものと誤認して第一審原告を逮捕したことについては無理からぬものがあつたにせよ、逮捕直後第一審被告今井が逮捕に至るまでの事実経過を率直に上司に報告していたならば、第一審原告が公務執行妨害、道路交通法違反により勾留され、起訴されることはなかつたはずであり、傷害のみの嫌疑で勾留され、起訴される蓋然性も乏しかつたものといわざるをえない。
してみると、第一審原告は、第一審被告今井及び同船水の捜査段階における虚偽の記述ないし供述により、公務執行妨害、道路交通法違反等の嫌疑で勾留され、起訴されたものというべきである。また、右第一審被告両名の刑事第一審における虚偽の証言によつて第一審原告は無実の罪におとしいれられる危険にさらされ、現に第一審では有罪判決を受けたのである。
したがつて、右第一審被告両名の判示三・1及び2の行為が第一審原告に対する故意による不法行為を構成することは疑いを容れないところである。
四 第一審被告らの責任
1第一審被告東京都の責任
(一) 第一審被告今井が第一審原告を逮捕した経緯につき現行犯人逮捕手続書に虚偽の事実を記載し、かつ、真の目撃者でない第一審被告船水を目撃者に仕立てあげ、同人に依頼して捜査官による事情聴取の際及び刑事裁判における証人尋問の際に逮捕当時の情況等について虚偽の供述をさせた行為は、犯罪について犯人及び証拠を捜査することを任務とする司法警察職員の職務を行うについてした不法行為と解すべきであるから、第一審被告東京都は国家賠償法一条一項により、右不法行為によつて第一審被告今井が第一審原告に対して加えた損害を賠償すべき責任がある。
(二) 次に、第一審被告今井自身が司法警察員及び検察官から参考人(道路交通法違反の現認者兼公務執行妨害、傷害の被害者)として事情聴取を受けた際及び刑事裁判において証人として尋問を受けた際に逮捕当時の情況等について虚偽の供述をしたことが、警察官としての職務を行うについてした行為と言い得るか否かについて考察する。
刑事訴訟法は、検察官、検察事務官又は司法警察職員は、犯罪の捜査をするについて必要があるときは、被疑者以外の者の出頭を求め、これを取り調べることができる旨、また、裁判所は、同法に特別の定めのある場合を除いては、何人でも証人としてこれを尋問することができる旨規定している。
まず、証人について検討すると、証人は、およそ我が国の裁判権に服する者である限り、その地位、身分、職業のいかんにかかわりなく、尋問を受けた事項につき原則として証言することを義務づけられているのであつて、証人が尋問に応じて過去の事実につき自己の認識経験した内容を供述するのは、右に述べた日本の裁判権に服する者がひとしく負つている証言義務の履行にほかならないのであり、その証言内容が過去に警察官としての職務を執行する際に知り得た事項に関する場合であつても、右の事項につき証言すること自体は、警察官の職務の範囲に属する行為ということはできない。
次に、捜査機関から事情聴取のため出頭を求められた参考人は、証人と異なり出頭及び供述の義務を負わないものとされているから、犯罪捜査のために行われる捜査機関の事情聴取に対しては、取調べを受ける者が警察官である場合であつても、取調べに対して供述すべき職務上の義務はないものといわざるを得ない。もつとも、警察官が司法警察職員として犯人及び証拠の捜査に従事した場合には、捜査の結果を上司に報告すべき職責があるから、被疑者を現行犯人として逮捕した警察官は上司に対し逮捕の経緯について報告すべき義務を負うことは明らかであるが、右の報告は当該警察官が捜査の主体としての立場で行うものである。これに対し、当該警察官が逮捕の経緯等につき参考人として他の捜査機関から取調べを受ける場合にあつては、もはや捜査官同士の間の情報交換の域を超えるものであり、同人は捜査の客体として取り扱われているのであるから、その取調べに対して供述する義務を負わないものと解しても、同人が前述のような報告義務を負つていることと矛盾するものではない。そうすると、被疑者を現行犯逮捕した警察官が逮捕の経緯等につき捜査機関に対し参考人として供述することは、少なくとも当該警察官の職務上の義務の履行として行われるものでないことは明らかであり、また、警察官は、他人の刑事事件につき知識を有していることを理由として、他の捜査機関に対し自己を参考人として取り調べることを要求する権限を有するものでないことは多言を要しないところであるから、前示参考人として供述する行為は警察官の職務権限の行使に該当するということもできない。以上に述べたところのほか、警察官の捜査機関に対する供述が刑事訴訟法上一般人のそれと異なる特別の証拠能力や証明力を与えられているわけではないことを考慮すると、警察官が自己の職務を執行する際に知り得た事実につき他の捜査機関の事情聴取に応じて参考人として供述することは、警察官の職務とは関係のない個人的な行為であると結論せざるを得ない。
(三) 以上の検討の結果によれば、第一審被告今井自身が捜査機関の取調べに対し虚偽の供述をし、かつ刑事裁判において偽証したことは、同人の警察官としての職務を行うについてした行為に該当しないので、右所為については第一審被告東京都に国家賠償法一条一項の責任はないものというべきである。
2第一審被告今井の責任
(一) 公権力の行使に当たる国又は公共団体の公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を与えた場合には、当該公務員の所属する国又は公共団体がその被害者に対して賠償の責めに任ずるのであつて、公務員個人は民法七〇九条による損害賠償責任を負うものではない。前判示四・1・(一)記載の第一審被告今井の行為は、警察官としての職務を行うについてされたものであるから、右行為については同第一審被告に民法七〇九条の責任はない。
(二) しかし、第一審被告東京都に国家賠償法一条一項の責任がないと判断された前判示四・1・(二)記載の第一審被告今井の行為については、同第一審被告に民法七〇九条の損害賠償責任があることは明らかである。
3第一審被告船水の責任
第一審被告船水は、捜査機関に対する虚偽の供述及び刑事裁判における偽証によつて第一審原告に与えた損害につき、民法七〇九条の損害賠償責任がある。
4第一審被告らの責任相互の関係
第一審被告船水の前示不法行為については、第一審被告今井も教唆者としてこれに加担しており、かつ、第一審被告今井の前示各不法行為中には、警察官としての職務の執行についてなされたものと、そうでないものとが混在している。そして、第一審原告が身に覚えのない犯罪の嫌疑により勾留され、起訴され、第一審で有罪判決を受けたことについては、第一審被告今井の公権力の行使に当たる行為と、個人的な行為と、第一審被告船水の行為とが混然一体となつて結果の発生に寄与しており、結果に対する影響力の程度においても右の三者は甲乙をつけ難いものがある。
右のような事情の下においては、第一審被告らは、各自、第一審原告の被つた損害の全額について賠償すべき責任があるものと解するのが相当である。
五 損害額の算定
第一審原告が第一審被告今井及び同船水の不法行為により被つた損害額についての当裁判所の認定判断は、次のとおり補正するほか原判決七六枚目表二行目から七八枚目表七行目までの説示と同一であるから、これをここに引用する。
1原判決七六枚目中、表四行目から五行目にかけての「公判及び検証に」の次に「原判決別紙公判経過表記載のとおり」を加え、表八行目から九行目にかけての「これにより成立を認め得る」を「前顕」に改め、裏七行目の「約束し」の次に「、内金六〇万円を現実に支払つ」を加え、裏三行目及び裏一〇行目の「三〇万円」をそれぞれ「六〇万円」に改め、裏八行目の「公判の経過」の次に「、第一審被告今井及び同船水が口裏を合わせて公訴事実に沿う証言をしているのに対し、第一審原告の弁解の裏付けとなる第三者の供述は皆無であるという不利な状況下にあつて、立証上の困難を克服して遂に右第一審被告両名の偽証の事実を明らかにし、控訴審の無罪判決を獲得するに至つた弁護人らの努力は、高く評価すべきであること」を加える。
2同七七枚目中、表二行目から三行目にかけての「によつて違法に逮捕された上、同被告」及び表七行目の「また、」から裏九行目末尾までをそれぞれ削る。
3同七八枚目中、表四行目の「約し」の次に「、本訴提起時に内金三〇万円を着手金として支払つ」を、表五行目の「事案の内容」の次に「、本訴において第一審原告が右弁護士費用についての遅延損害金を不法行為の時から請求していること」を、表五行目から六行目にかけての「三〇万円を」の次に「昭和五〇年五月七日を基準日として算定した、本件不法行為と」をそれぞれ加え、表七行目の「一六三万三〇八〇円」を「一九三万三〇八〇円」に改める。
六 結 論
以上説示のとおりであつて、第一審原告の第一審被告らに対する請求は、各自金一九三万三〇八〇円及びこれに対する昭和五〇年五月七日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当として認容すべきであり、これを超える部分は失当として棄却すべきである。
右によれば、第一審原告の控訴は一部理由があるから、第一審原告の控訴に基づき原判決を当審の前叙判断に符合するよう変更し、第一審被告東京都の控訴及び第一審被告船水の控訴はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、原審及び当審における訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。なお、仮執行の宣言については相当でないのでこれを付さないこととする。
(裁判長裁判官柳川俊一 裁判官近藤浩武 裁判官三宅純一)